子どもの頃、自転車に乗るのが怖かったのに、友達がすいすい乗っているのを見て「自分にもできそうだ」と思えた——そんな経験はないでしょうか。
このとき起きていたのは、単なる励ましではありません。自分の中にある「できる/できない」の見積もりが、他人を見ることで書き換わったのです。これを心理学では代理体験と呼びます。
この記事では、代理体験が自己効力感を高める仕組みと、効果を左右する条件、そして実際にどう使えばよいかを解説します。
代理体験とは
代理体験とは、他者が何かを成し遂げる様子を見て「自分にもできそうだ」と感じ、自己効力感が高まることをいいます。
英語では vicarious experience といいます。心理学者アルバート・バンデューラが提唱した、自己効力感を高める4つの源泉のひとつです。
| 源泉 | 内容 |
|---|---|
| 達成(成功)体験 | 自分で実際にやり遂げる |
| 代理体験 | 他者の成功を見て学ぶ |
| 社会的・言語的説得 | 他者から励まされる |
| 生理的・情緒的状態 | 心身の状態を整える |
バンデューラは1977年の論文でこの枠組みを示し、1997年の著書で体系化しました。以来、教育・医療・経営の現場で広く使われています。
Bandura, A. (1977). Self-efficacy: Toward a unifying theory of behavioral change. *Psychological Review*, 84(2), 191–215.
Bandura, A. (1997). *Self-Efficacy: The Exercise of Control*. W. H. Freeman.
なぜ他人の成功が、自分の自信になるのか
人は何かに取り組む前に、無意識のうちに「自分にできるかどうか」を見積もっています。この見積もりが低いと、能力があっても手をつけられません。
代理体験は、この見積もりそのものを動かします。
やったことのない仕事を前にして「無理かもしれない」と感じているとき、同じ立場の先輩がそれをやり遂げる場面を見ると、「あの人にできたのなら、自分にも可能性がある」という判断に変わります。情報が増えたわけではありません。自分の能力に対する見方が変わったのです。
もうひとつ大きいのは、この変化が内側から湧いてくることです。
「やりなさい」と指示されて動くのと、「自分にもできそうだ」と思って動くのとでは、続き方が違います。前者は指示が途切れれば止まりますが、後者は自分の意思で始まっているため、うまくいかなくても粘りが利きます。代理体験は、外から与えられた情報が内発的な動機に変わる入口になります。
職場で考えると分かりやすいでしょう。難しい顧客との交渉を、先輩がうまく進めている。その準備の仕方、話の運び方、提案の組み立て方を観察する。そして自分の案件で同じように試してみる。うまくいけば、それはもう代理体験ではなく自分自身の成功体験です。代理体験は、最初の一歩を踏み出させる踏み台として働きます。
効果を左右するのは「どれだけ似ているか」
ここが、代理体験でもっとも重要なところです。
観察する相手が自分とかけ離れていると、効果はほとんど出ません。
一流のアスリートや創業者の成功譚を読んで、一時的に高揚したものの、翌日には何も変わっていなかった。そんな経験はないでしょうか。相手が遠すぎると、脳は「あれは特別な人の話だ」と処理してしまい、自分の見積もりが動かないのです。
効果が出やすいのは、次のような相手です。
- 立場が近い——同じ部署、似た役割、近い年次
- 出発点が似ている——自分と同じようなところから始めた
- 道筋が見える——何をどう積み上げて今に至ったかが分かる
入社3年目の人にとっては、役員よりも入社6年目の先輩のほうが、はるかに強い代理体験になります。「あと3年でそこに行ける」という距離感が、現実味を生むからです。
ロールモデルを選ぶときは、憧れの強さではなく、自分との距離で選んでください。
達成体験より効果は弱い。それでも使う理由
正直に書いておきます。
4つの源泉のうち、もっとも強いのは達成体験です。自分で実際にやり遂げた経験に勝るものはありません。代理体験は、それに比べると効果が弱いとされています。
では、なぜ使うのか。
まだ自分で体験できない段階があるからです。
一度もやったことのない仕事、失敗が許されない場面、そもそも怖くて手がつけられないこと。こうした状況では、達成体験は作れません。最初の一歩が踏み出せないからです。
代理体験は、その一歩を踏み出すための踏み台になります。順番としてはこうなります。
- 他者の成功を見て「できそうだ」と感じる(代理体験)
- 小さく試してみる
- 「できた」を自分の手で確かめる(達成体験)
代理体験は、達成体験の代わりではなく、達成体験への入口です。この位置づけを誤ると、「見ているだけで何も変わらない」という結果に終わります。
実践:代理体験を取り入れる5つの方法
1. ロールモデルを観察する
もっとも基本的な方法です。3つの段階で進めます。
① 選ぶ自社や同じ業界で、理想とする人を選びます。前述のとおり、能力がかけ離れた人ではなく、自分と似た背景を持ち、成功までの道筋が見える人を選んでください。
② 取り入れたい点を具体的に決める「すごい人」と漠然と見ているだけでは学べません。何を取り入れたいのかを絞ります。
- 時間の使い方
- 人間関係の築き方
- 仕事の進め方
- 考え方
- 立ち居振る舞い
③ 行動計画に落とす観察して終わりにせず、自分の行動に変換します。たとえば、上司の時間管理を学びたいなら、使っているツールや優先順位の付け方を具体的に聞き、自分のスケジュールに同じ仕組みを入れてみる。プレゼンなら、構成や資料の作り方を真似て、次の機会に試し、フィードバックをもらう。
ここまでやって、はじめて代理体験が自分の力になります。
2. メンターに依頼する
観察するだけでなく、直接教わる関係をつくる方法です。
選ぶときは、自分が伸ばしたい分野で実績のある人を探します。ロールモデルとして見ている人に、そのまま依頼するのも良い方法です。
依頼するときは、「なぜその人を選んだのか」「その経験から何を学びたいのか」を具体的に伝えてください。漠然とした依頼は断られやすく、受けてもらえても何を話せばよいか分からず続きません。
身近に頼める人がいない場合は、直接会えない人物を「想像上のメンター」として設定する方法もあります。歴史上の人物でも、業界の第一人者でも構いません。自伝、著書、インタビュー、記録映像からその人の考え方や判断の仕方を集め、「この人ならどう判断するだろうか」と自問しながら行動します。第三者の視点を持ち込むことで、自分ひとりでは出てこない選択肢が見えてきます。
3. 本やドキュメンタリーから学ぶ
映像や文章を通じた代理体験です。手軽に始められ、身近にロールモデルがいない場合にも使えます。
効果を出すには、見方・読み方に工夫が要ります。
- 見る前:何を知りたいのかを決めておく
- 見ている間:困難にどう対処したか、判断の分岐点はどこかに注目する
- 見た後:自分の状況に当てはめ、ひとつでも行動に移す
「感動した」で終わらせないことが肝心です。見た後の行動がなければ、代理体験にはなりません。
4. セミナーや講演に参加する
その分野で成果を出している人から、直接話を聞く方法です。
本や映像との違いは、質問できることと、場の空気を共有できることです。同じ目標を持つ参加者が集まっているため、「自分だけではない」という感覚も得られます。得た知識を実際の仕事で使い、成果が出れば、それが達成体験に変わります。
5. 同じ目標を持つ仲間と交流する
意外に見落とされがちですが、効果の大きい方法です。
同じ課題に取り組む仲間が、どう壁を越えたかを聞く。それは自分がこれから直面する問題の予習になります。しかも相手は自分と立場が近いため、「似ている度合い」の条件を満たしています。
さらに、仲間との関係には情報交換以上の意味があります。誰かが自分を見てくれているという感覚が、困難な局面で諦めない力になります。
うまくいかないときの3つの原因
代理体験を試したのに効果がない。その多くは、次のどれかです。
原因1:相手と比べて落ち込んでしまう
もっとも多い失敗です。
ロールモデルを観察するうちに、スキルの差や成果の違いが目につき、かえって自信を失ってしまう。これでは逆効果です。
比べる相手を変えてください。 比べるべきはロールモデルではなく、過去の自分です。
そしてもうひとつ。目の前にいるその人も、一晩でそこに到達したわけではありません。何年もかけて、失敗を重ねながら今の位置にいます。見えているのは結果だけで、過程は見えていない——このことを意識するだけで、受け取り方が変わります。
原因2:そのまま真似て、合わない
ロールモデルのやり方が、自分にとって最適とは限りません。性格も、立場も、持っている資源も違うからです。
最初は真似から入って構いません。ただし、自分の状況に合わせて調整する工程を飛ばさないでください。試しながら「これは自分に合う/合わない」を見極め、徐々に自分のやり方にしていく。この過程そのものが、自信につながります。
原因3:遠すぎる相手を選んでいる
前述の「似ている度合い」の問題です。効果が出ないと感じたら、まず相手の選び直しを検討してください。
企業・組織での活かし方
ここまで個人の視点で書いてきましたが、代理体験は組織の人材育成でこそ効果を発揮します。社員一人ひとりに成功体験を用意するのは難しくても、代理体験の機会は設計できるからです。
研修に組み込む3つの形
① 社内事例の共有外部講師の成功談より、同じ会社の、少し先を行く先輩の話のほうが効きます。「似ている度合い」が圧倒的に高いからです。できれば、うまくいった話だけでなく、つまずいた話とその乗り越え方まで共有してもらってください。
② メンター制度設計で気をつけたいのは、組み合わせです。役職が離れすぎたペアは、代理体験として機能しにくくなります。3〜5年程度先を行く先輩のほうが、本人には現実味があります。
③ ロールプレイと相互観察同僚が対応する場面を見て、自分の番で試す。研修の場で代理体験と達成体験を連続させられる、効率の良い形です。
代理体験だけでは、逆効果になることがある
ただし、組織で代理体験を使うときには、見落とされがちな前提があります。
自己肯定感が低い状態の人は、他者の成功を見ると、かえって落ち込みます。
「あの人にはできて、自分にはできない」——同じ場面を見ても、受け取り方が正反対になるのです。
ここに、自己効力感と自己肯定感の違いがあります。
| 内容 | |
|---|---|
| 自己肯定感 | ありのままの自分を認める感覚。「自分には価値がある」 |
| 自己効力感 | 特定の課題を遂行できるという見込み。「自分にはできる」 |
自己肯定感は土台、自己効力感はその上に立つ見込みです。土台が揺らいでいる状態で「できる」を積み上げようとしても、他者との比較に耐えられません。研修で成功事例を見せたのに、現場の反応が鈍い。そうした場合、原因は手法ではなく、土台のほうにあることが少なくありません。
詳しくは自己肯定感と自己効力感の関係で解説しています。
JISEの研修は、両方を扱います
一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会(JISE)の企業研修は、自己肯定感と自己効力感の両方を扱う点に特徴があります。
多くの研修は、スキルや行動の指導——つまり自己効力感の領域に集中します。しかし土台である自己肯定感に触れないまま進めると、次のような壁に当たります。
- 研修中は前向きになるが、職場に戻ると元に戻る
- 優秀な人ほど「自分はまだ足りない」と感じ、挑戦を避ける
- 他者の成功事例が、刺激ではなく圧力になる
JISEでは、まず「自分には価値がある」という土台を整え、そのうえで「自分にはできる」を積み上げる順序で設計しています。代理体験を機能させるための前提条件を、研修の中に組み込んでいるということです。
管理職研修、女性リーダー育成、若手の定着支援など、目的に応じた構成が可能です。
企業研修のご案内自己効力感を高める企業研修の作り方|4つの源泉にもとづく5つの手法
まとめ
代理体験は、他者の成功を見て「自分にもできそうだ」と感じ、自己効力感が高まることです。
押さえるべき点は3つです。
- 相手との「似ている度合い」が効果を決める——遠すぎる相手では動かない
- 代理体験は達成体験への入口——見て終わりでは意味がなく、小さく試すところまで行う
- 土台となる自己肯定感がないと逆効果になりうる——比較が刺激ではなく圧力になる
まずは身近に、自分より少し先を行く人を1人見つけてください。そして「何を取り入れたいか」をひとつだけ決めてみてください。そこからが代理体験の始まりです。
さらに詳しく学びたい方へ
本記事で紹介した代理体験の実践方法は、工藤紀子『自己効力感の教科書』(総合法令出版)の第4章をもとに構成しています。
同書では第4章の24ページを割いて、ロールモデルの選び方からメンターへの依頼の仕方、具体的な事例までを解説しています。また、自己効力感を高める4つの源泉それぞれに章を設け、全272ページで体系的に扱っています。ビジネスの文脈で自己効力感をここまで詳しく扱った本は多くありません。

工藤紀子『自己効力感の教科書』総合法令出版
